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3)【お釈迦様について】

蓮つぼみ 

仏教の生みの親で有る、お釈迦様について、少し学びましょう。

仏教はお釈迦様が、私達が幸せに生きる方法を、教えて下さった教えです。 その教えの基本は、『不幸せの元は何か、人は如何にしたら、悩みや苦しみを乗り越え、幸せな生き方が出来るか』と言う事です。

仏教の教えは、加持祈祷や葬式や死後の世界の救済を説かれたものではありません。

それでは先ず、お釈迦様の生涯から学びましょう。

(1)お釈迦様の生涯に付いて


誕 生

紀元前五世紀に、インドの北部(現在のネパ-ル付近)を治めていた、大国コ-サラ国に属するシャカ族の王、浄(じよう)飯(ぼん)王(のう)とその妃(おきさき)である摩(ま)那(な)夫人の間に王子として、4月8日にルンビニ園で誕生され、名前をガウタマ・シッタ-ルと名付けられました。

(4月8日は灌仏会(かんぶつえ)又は誕生会と言い、釈迦の誕生日を甘茶を掛け祝う)

母は、王子を出産後1週間で他界されました。その後、母の妹が新しい母と成り、王子は健やかに成長されました。


王子(後の釈迦)は、生まれると同時に立ち上がり、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、一方の手で地を指して、『天(てん)上(じよう)天(てん)下(が)唯(ゆい)我(が)独(どく)尊(そん)』と言われた  と伝えられています。

この伝説は、お釈迦は生まれながらに、仏様で有ると言う考えですが、私はお釈迦様は、私達と同じ人間で有り、修行の末悟りを得て仏と崇められる方に成ったと言う立場で説明して行きます。

この考え方の違いは、お釈迦様のとらえ方に違いがあります。
お釈迦様を、生まれながらに仏と言う考え方は、現在の大乗仏教のとくに顕教の考えです。
しかし、お釈迦様は人として生まれ、後に悟りを得て仏と成ったと言う考えは、密教の考え方です。


この後王子時代は幸せに暮らされていました。7才にして既に、天文学・占(せん)星(せい)術(じゆつ)・祭(さい)祀(し)学(がく)・文法学・数学の学識に富んでいたと言われています。

また当時王子は、この世の弱肉強食を知り、その後に城外の民衆の悩みや、生・老・病・死の苦しみを知りました。

後にこのシャカ族の国の事を、お釈迦様は『雪山の中腹に、正直な一つの民族が居ます。昔から大国コ-サラ国に属する小さな部族国家の住民で有り、富と勇気を備えています』、と話しておられます。


結 婚

ガウタマ・シッタ-ル王子は、16歳でヤショ-ダラと結婚し、長男ラ-フラを授かりました。その後もう一人の子供も授かっています。

この時代王子は、物質的には何不自由なく、結婚もし2人の子供も授かり、将来は国王の身分も保障されて、安定した平穏な生活をされていました。

 しかし、幼少時代から人の悩みで有る、生・老・病・死の苦しみについて、悩み続けておられました。


出 家

王子は、弱肉強食や人の悩み・苦しみの現実を見て以来、物質には恵まれても精神的に満たされない日々が続いていました。王子は絶えず悩み、『人々の悩み苦しみは如何にしたら無く成り、幸せな日々が送れるか』と、思いを  巡らす日々を送っておられました。そこに、南門で毅然(きぜん)とした沙門(しやもん)(修行する僧)に会い、王子は迷いの世界から解脱(解き放される)出来る道があるのだと気づき、自分の進むべき道を決意されました。王子が29歳の時、妻ヤショ-ダラと2人の子供を残して出家し、城を出て、僧名をゴ-ダマ沙(しや)門(もん)となりました。


難行苦行の修行

最初にア-ラ-ラ仙と言う師僧に付き、禅(ぜん)定(じよう)の坐禅(ざぜん)瞑想による精神統一を計る修行をし、教えを取得されました。

次にウッダカ仙を師僧とし、より高い思想を学んで取得されました。

ゴ-ダマ沙門は、2人の師僧に学びましたが、満足できず、ウルヴェ-ラ地方のセ-ナ-ニ村の山中で、生死を掛けた非常に厳しい苦行を行っていました。その当時ゴ-ダマ沙門を尊敬して五人の沙門が集まって来て、六人の苦行者集団が出来ました。

ゴ-ダマ沙門は、更に激しい修行をし、ボロボロの衣服をまとい、骨と皮に成っても、何ら心の安らぎを得る事は出来ませんでした。


中道思想に気づく
生死を掛けた厳しい苦行中に、一人の農民の娘が俗(ぞく)歌(か)を口ずさんでいました。その歌は、『琵(び)琶(わ)の弦(げん)は、きりきり締めればぷっんと切れる、さりとて弛めれゃ、べろんべろん』でした。ゴ-ダマ沙門は、この歌を聴き、深く意味を噛みしめられ、王子時代の贅沢三昧や、今の生死の境の難行苦行の無意味さに気づき、物事は極端な考えや行動では、解決出来無いと気づかれました。

これが後の、『中道思想』の大切さな考え方です。

ゴ-ダマ沙門は、難行苦行では幸せに成る道は悟れないと知り、山をおり苦行で痩せ細り、垢とホコリにまみれた体を、尼(に)蓮(れん)禅(ぜん)河(が)(インドのビハール州ブッダガヤ-の東を流れる川)で沐(もく)浴(よく)(体を洗い浄める事)してい時、流れにはまり命を落としそうに成り、危機一髪のところを帝釈天に助けられました。
助けられて岸にあがり休んで居たら、セ-ナ-ニ村の村長の娘スジャ-タが、介抱してくれました。娘から毎日乳(ちち)粥(がゆ)を貰い、二ヶ月間でゴ-ダマ沙門は回復しました。

真理に目覚め悟りを開く
苦行で生死の境をさまよい、人里のセ-ナ-ニ村に降りて来て、村の村長の娘に、乳粥を与えられ介抱を受けて助けられたゴ-ダマ沙門は、体力の回復後、村の近くのブッダガヤ-の大きな菩提樹の下に坐り、心静かに瞑想をしました。色々の魔性(心の迷い)に悩まされたましたが、49日後に悩み苦しみから脱却する真理(悟り)を、得る事が出来ました。(気づかれた)

そしてゴ-ダマ沙門は、『幸せとは如何なるものか。不幸せの元は何か、人は如何にしたら、悩みや苦しみを乗り越え、安らかな幸せな生き方が出来るか』を悟られました。その後ゴ-ダマ沙門は、ブッダ(悟りを得た人)と成りました。その時ブッダは、35歳でした。


鹿野苑(ろくやおん)で初めて法を説いた。(初転法輪)
ブッタは自分の悟りの真理(理論)は難しくて、到底他人には理解して貰えぬと考えていました。しかし、そこに梵天(ぼんてん)が現れ、ブッタに「悟りの法を皆に説き、広める様に」と勧めました。その勧めのとおりブッタは、最初に同じ様に修行していたた5人の沙門に、話そうとしました。しかし、難行苦行の修行からの落伍者と考えて居た五人は、なかなか聞き入れ様とはしませんでした。
しかし、次第に五人の苦行者はブッタの話しにひかれ、鹿(ろく)野(や)苑(おん)で初めてその法を説かれました。その後五人はブッタの最初の弟子と成りました 。


伝道活動

その後多くの人々(僧侶や豪族・豪商の出家者)に、苦から脱却し(苦を乗り越え)悟りを得る(幸せな暮らしをする)方法(真理)を教えられました。

その教えが後に仏教の基と成りました。

その真理である、『中道思想』・『三法印』・『十二縁起』や『四(し)諦(たい)』・『八正道』・  『六波羅密』などを、相手に解るように易(やさ)しく教えられました。

それが後、ブッダを中心として五つの仏教教団(五精舎(ごしょうじや))が出来、多くの人々が集まり弟子と成りました。
ブッタの死後は、お釈迦様は釈迦如来と呼ばれる、仏と成りました。

★精舎(しょうじや)(Skt:Vihāra、ヴィハ-ラ、ビハ-ラ)
精舎は、仏教の比丘(びく・出家修行者)が集団で住する住まいや講堂から成る部落(現在の寺院・僧院の事)で、修行者の所在所を言う。

精進する者たちの舎宅を意味し、立派な建物を意味するのではない。

お釈迦様が在世の時代の主な精舎は次の、

1.祇園精舎(ぎおんしょうじや)
2.竹林(ちくりん)精舎
3.大林(だいりん)精舎(重閣講堂、彌猴池(みこうち)精舎)
4.霊鷲(りょうじゆ)精舎
5.菴羅樹園(あんらじゆおん)精舎(菴羅樹(あんらじゆ)とは、マンゴの事)の天竺五(てんじくご)精舎である。


入 滅(にゅうめつ・死亡・涅槃に入る)


ブッダは、悟りを開いてから45年後八十歳で、ラ-ジャグリハ(王舎城)の霊鷲山(れいしゅうざん)から生まれ故郷のカピラヴァストゥに向かって旅を決意されます。

もちろん歩いてです。すでにブッダは教団の事は弟子たちに任せて、自らは隠居の様に成っておられたのでしょう。旅の供は、ア-ナンダ(阿難)一人だけだったと伝えられています。
その途中でブッダは疲れきって、クシナ-ラ-の二本のサ-ラ樹の間に、北を頭にして床を造らせ、右を下にして横になり(涅槃像)、体を休められました。その時サ-ラ樹は、開花の季節でも無いのに白い花が咲き、ブッダを迎えたと語られています。ブッダが来られた事を知り、横に成られた床の周りには、多くの出家修行者や在家の信者や諸天・諸神・鳥獣が集まり、それらの者に最後の説法をされ、やがて禅常(ぜんじよう)(瞑想)に入られ、そのまま皆に見守られながら、入滅(死亡)されました。

ブッダは、『死後葬式などはしないように』と言われましたが、死を悲しんだ弟子達が、ガンジス河の岸で火葬し、骨を五つに分けてそれぞれの精舎に埋め塔を建てました。

それが後の仏舎利塔(ぶっしゃりとう)で有り、日本の各寺で見られる、三重の塔や五重の塔の形と成りました。


★サ-ラ樹は、北インドからネパ-ルに分布する常緑高木。幹高は30mにも達する。もともと熱帯の植物なので、日本の気候には適しておらず、日本では沙羅双樹の代わりにナツツバキが充てられています。

サ-ラ樹
サ-ラ樹

サ-ラ樹の華 

サ-ラ樹の華

夏椿 
ナツツバキ


中村元訳の大パリニッパ-ナ経「ブッダ最後の旅」に、この様な文章があります。

釈尊はクシナ-ラ-で、ただ一人連れた供のア-ナンダに告げました。

「わたしの為に、二本並んだサ-ラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。ア-ナンダ(阿難)よ私は疲れた、横になりたい。」釈尊が横たわった「その時、沙羅双樹が時ならぬ白い花が咲き、満開になった。それらの花は、修行完成者(釈迦)の体に降り注ぎ散り注いだ」と言う。「ブッダ最後の旅」によれば、釈尊は北枕で横臥(おうが)して、弟子達に教えを授けたり、弟子達と問答を行った後に涅槃に入る。

この時の説法は、「生まれたものは必ず死ぬのであって、誰もが諸行無常(全ては変化する)の道理に逆らう事は出来無い。それゆえ諸法無我(私のものと思っても、それは変化し私の諸行やものの実体は無い)の道理を悟って、欲を少なくしなければならない。そう自覚し受け入れれた時に涅槃寂静(とらわれの無い永遠の安らぎ)に入る悟りが有るのです」
修行僧たちに告げた釈尊の最後の言葉は、「諸々(もろもろ)の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。」であった。

★沙羅双樹と言えば、平家物語、の冒頭の文章に

『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹(さらそうじゆ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。

奢(おご)れる人(もの)も久しからず、ただ春の夜の夢の如(ごと)し。
猛(たけ)き者(もの)もついに滅(ほろ)びぬ、ひとえに風の前の塵(ちり)に同じ。』
沙羅双樹の花の色とは、花の色があせパラと落ちる様子を表す。


★祇園精舎の鐘の音は、諸行無常・是生滅法(ぜしゃめつほう)・生滅滅已(しょうめつめつい)・寂滅為楽(じゃくめいいらく)と、(響く)聞こえると言う意味である。

★平家物語の作者は、信濃前司行長(しなのぜんじゆきなが)とも言われているが、歴史的には不明である。

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《幸福塾:法話 道しるべ》

はじめに
1)幸福とは何か
2)お釈迦様の基本的な教え
3)お釈迦様について(お釈迦様の生涯)
4)お釈迦様がされたお話の一つ
5)-1 お釈迦様の基本的な考え方
    -2 中道思想
    -3 四諦(したい)
    -4 三法印
    -5 八正道(はっしょうどう)
    -6 六波羅蜜(ろっぱらみつ)

6)お釈迦様の基本的な考え方


<光福寺の内容>

光福寺について
光福寺の由来
名前の由来
ご本尊
光福寺の果たす役割(目的)

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<活動内容>

瞑想の会
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お悩み相談(カウンセリング・セラピー  他)
祈願(商売繁盛・家内繁栄・願い事)
厄除け・お祓い(厄年の祈祷・新築お祓い  他)
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各種占い(結婚の相性占い・商売の占い  他)
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