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5)-3【四諦(したい)の教え】

蓮6 

次に基本的な教えを理解した上で、私達は如何にしたら幸せに成れるかを教えて下さっておられます。それが『四諦(したい)』の教えです。
これらを少し詳しく学んでいきましょう。


『三法印』・『四諦の教え』(四諦の事を四聖諦とも言う)は、初転法輪(初めて説法された)から入滅の直前まで、釈尊が一貫して説かれた人生の真理です。 『四諦の教え』とは、四苦八苦(しくはつく)を滅する方法を説かれたものです。

これらの『四諦の法門』は、非常に重要な教えであり「法華経(ほけきょう)の譬諭品(ひゆうほん)第三」に、次のように説かれております。
「もし人、小智(智恵が無い事)にして、深く愛欲に著(ぢやく)せる。これらを為(もつ)ての故(ゆえ)に、苦諦(くたい)を説きたもう。衆生心(しゅじょうしん)に喜んで未曾有(みぞうゆ・今までに一度もなかったこと。また、非常に珍しいこと)なることを得、仏の説(とき)きたもう苦諦(くたい)は真実にして異(こと)なることなし。もし衆生(しゅじょう・全ての生き物)あって苦の本(もと)を知らず。深く苦の因(いん)に著(ちゃく)しても捨(す)つること能(あた)わざる これらを為(もつ)てのに故(ゆえ)、方便(ほうべん)して道(みち)を説(と)きたもう。 苦の所因(しょいん)は、貪欲(どんよく)これ本(もと)なり。もし貪欲滅(めつ)すれば、依止(えじ・力や徳のあるものに依存し、それを頼みとすること。)する所なし、諸苦(しょく)を滅尽(めつじん・ことごとくほろぼすこと。)するを、第三の諦と名づく。滅諦(めつてい)の為(もつ)ての故(ゆえ)に、道(八正道の事)を修行す」とあります。

『四諦の法門』には、

(1)苦とは何かの苦諦(くたい)
(2)苦の起きる原因の集諦(しゅうい)
(3)苦を滅する為の考え方の滅諦(めつたい)
(4)苦を滅する実践法の道諦(どうたい)

と分けて説かれています。

これらの「四諦」や道締の中の「八正道」の法門は、釈尊が人生苦と言うものに対する考え方や、その「苦」に対処する実践方法を、解き明かされた大切な法門です。深く心に刻んでおくべきだと思います。
仏教修行を志さす者は、この意味をよく理解しておかなければならないと思います。

 (1)苦諦(くたい)(苦とは何か)

人間の歴史が始まって以来、暑さ寒さ・天災地変・飢饉・疫病・貧困・不仲・不安・老い・死等に対する苦しみが有り、人生は苦「(しょう)・老・病・死・愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとつく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)である事を悟(さと)る事です。
これは四苦八苦(しくはつく)と呼ばれています。

 「苦」の原語は、パーリ語のドゥッカ(dukkha)で、これは単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「不満」や「思い道理に成らない」と言ったニュアンスを持つのです。

語句を説明しておきます。

1.生苦(しょうく)… 生きるということは苦である。 
2.老苦(ろうく)… 老いていくことは苦である。 
3.病苦(びょうく)… 病にかかることは苦である。
4.死苦(しく)… 死ぬということは苦である。
5.愛別離苦(あいべつりく)… 愛するものと別れるのは苦である。
6.怨憎会苦(おんぞうえく)… 怨み憎む者と会うのは苦である。
7.求不得苦(ぐふとつく)… 求めても得られないのは苦である。
8.五蘊盛苦(ごうんじょうく)… 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ 簡単に言うと、人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じるものや心で感じるもの(識)すなわち人間の肉体や精神活動全てが、物事に拘りをもつ苦しみです。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)を例えて言えば、町を歩いていて「綺麗なお姉さん」が居た時。

 綺麗なお姉さんと出会う
 見てドキッとします
 綺麗な人だなぁ~と思う
 着いて行こうか、行くまいか判断する
 着いて行くと、綺麗なバラには棘があると判る

別例として、町を歩き知り合いに会った時。

 通りを歩いていると向こうに人が居る
 向こうから誰か来るのを見る
 『あ、山田だ』と思う
 山田氏が、今自分にとって都合が良い存在か、悪い存在か判断する(一次解釈)
 『あ-嫌な奴に会ったな-』と想う(二次解釈)

釈尊は、このように「苦」の分類を八種類に分類され生・老・病・死を「四苦」と言い、次の愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦を合わせて「八苦」と呼ばれました。

お釈迦様は、苦しみには三つの側面が有るとも教えられて居ます。

1)苦苦(くく)言い、体に感じる痛みやか痒(かゆ)み等の、身体的な症状に伴う不快からの苦しみです。

2)壊苦(えく)と言い、快楽や楽しみに無意識のうちに囚(とら)われ、快楽や楽しみが去った後に残る、寂しさや悲しみや空しさを味わう苦しみです。 その様な喪失(そうしつ)の苦しみで、感情的な寂寥(せきりょう)の苦しみです。

3)業苦(ぎょうく)と言い、私達が日々『こうあってほしい』と思いながら、色々と行動しますが、なかなか望み通りには成りません。この思い通りに成らず満たされない不満から生じる苦しみです。
これが一番大きな苦しみで有り、不幸の大きな元となる苦です。

私達は、身体や感情を持ち、心を動かしながら生きて居ます。そこに、快楽を求め不快を避けると言う、生命の基本的なプログラムが働きます。それによって、不快感・寂寥感(せきりょうかん・さびしくてわびしいく感じる)・不満感と言う苦に出会うのです。
お釈迦様は、『人生全ては苦である(苦諦の法門)と観なさい』と、言っておられます。
「苦」の原語は、パーリ語の(dukkha-ドゥッカ)で、これは単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「不満」と言った意味が有ります。
すなわち、苦とは、『物事が想うように成らない』と言う事です。(業苦 ぎょうく)
『人間と言うものは、絶えず移り変わるものに対して永久に不変(変わらない)のものと錯覚し、無理な執着を創り出しているのだ』
と、説いておられます。

「人生は苦である。」と断定した事は、決して悲観的・厭世的(えんせいてき・人生に悲観し生きているのが嫌に成っているさま)なものの見方を、教えられているのではありません。
「苦」そのものを直視し、心の表面で誤魔化す事無く、一時の喜びや、楽しみは何時かは消え失せ、その影には必ず「苦しみ」がつきまとうと言う事を断言されたのです。真意はここに有るのです。

 現代生活に例えれば、苦しみを酒や遊び等で一時的な逃(のが)れをせず、しっかりと「現実」を見すえて「苦」を正面から受け止め、その原因を見つめる態度が大事であると言う事です。

この様な時「諸行無常」の真理を悟り、今の苦しみは永遠のものでは無いし、今の楽しみや喜びも永遠では無く、一時的なもので、これらの現象に囚(とら)われない生活習慣を身に着ける事が修行なのだと、説かれています。

(2)集諦(しつたい)(苦の起きる原因)

(しゅう)というのは「集起(しゅうき)」の略で、苦の「原因」の事です。
釈迦は、人生苦にも必ず原因が有り、その原因を探求し、反省しそれ をはっきり諦(さと)る(理解する)事であると言われています。

『苦』の原因は、渇愛(かつあい)にあるとお釈迦様は説かれて居ます。
『諸苦の所因は貪欲(どんよく)これ本(もと)なり』法華経(ほけきょう)・譬諭品(ひゆうほん)第三

渇愛(かつあい)とは、喉の渇いた者が激しく水を求める様に、凡夫(ぼんぷ)が諸々(もろもろ)の欲望の満足を求めてやまない心の状態で、無制限にものごとを貪(むさぼ)り求めるこころの事です。

求める本能そのものは、善悪以前の自然のものであるとブッダは言われていますが、欲望を必要以上に増大させ、他人の迷惑などおかまいなく、りを増大させる思いや行為が、不幸を呼び起こすのだと教えられています。
すなわちこころの三毒である、(とん)(貧(むさ)り)(じん)(怒り)(ち)(無智・愚痴)の事です。
 この原因を悟る方法として、『十二因縁(いんねん)の法門』が説かれています。『十二因縁(いんねん)』は、後で説明します。

それと、この世の中では自分の思う様に成ることは、ほんの僅かです。それを、大半のものを自分の思いどおりにしょうと執着する事が、苦の大きな原因なのです。
また私達は、この世のものは未来永劫に変わらないと、錯覚して居ます。変わってほしく無いと執着する事も、苦の原因と成っています。

★渇愛(かつあい)とは、求めてそれが得られても更に無限に求め、何時までも満足を得られ無い事。

★貧(とん)(じん)・痴(ち)とは、三つの根本的な煩悩(ぼんのう)。すなわち,対象を必要以上に求める貪欲(どんよく)に,怒りである瞋恚(しんい),真理を見失う愚痴(ぐち)のこと。

(3)滅諦(めつたい)(苦を滅する(乗り越える)為の考え方)

前記の集諦(しゅうたい)によって、「苦の原因は人間の心の持ち方にある」と教えられています。この事から当然「心の持ち方を変える事により、あらゆる苦悩は必ず消滅する。」と教えられています。渇愛の全てを余すことなく捨て去り、執着を断ち切り解脱(げだつ)する事が出来るのかと言うと、ただ「捨て去ろう、執着を断ち切ろう、解脱しよう」とすると、かえってそのものへの心に引っ掛かりが出来、苦しみを増大させてしまう事も充分あるのです。

そこでブッダは、私達がどの様なこころを持てば、『苦』を克服出来るかを説かれています。それは「三法印(さんぽういん)「中道思想(ちゅうどうしそう)の教えです。
三法印(さんぽういん)の教えとは、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」・「諸法無我(しょほうむが)」・「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の三つの教です。

お釈迦様は、29歳で釈迦国の太子の地位を捨て、6年の厳しい修行の後、35歳で悟りを開かれました。(修行期間は正確には6年半とも言われている)悟りをひらかれた後、まず最初に同じ様に難行苦行の修行した仲間五人(この5人が釈迦の最初の弟子)に、説法を説かれました。

それが初転法輪(しょてんほうりん)と言う最初の説法の『三法印(さんぽういん)で、「 諸行無常(しょぎょうむじょう)「諸法無我(しょほうむが)「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の三つの真理を説かれました。
お釈迦様の教えの根本道理は、『この世の道理、仕組みをしっかりと心に持ちなさい』、と言う三つの真理の教えでした。

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《幸福塾:法話 道しるべ》

はじめに
1)幸福とは何か
2)お釈迦様の基本的な教え
3)お釈迦様について(お釈迦様の生涯)
4)お釈迦様がされたお話の一つ
5)-1 お釈迦様の基本的な考え方
    -2 中道思想
    -3 四諦(したい)
    -4 三法印
    -5 八正道(はっしょうどう)
    -6 六波羅蜜(ろっぱらみつ)

6)お釈迦様の基本的な考え方


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