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5)-6 六波羅蜜(ろっぱらみつ)

蓮8 

ここでは六波羅密(ろっぱらみつ)を、簡単に解りやすく詳しく説明します。
波羅密(ぱらみつ)は、サンスクリット語のパ-ラミタ-の音写(音を単に漢字に 置き換えたもので、漢字には意味が無い)で『此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に渡す』 と言う意味で、「究竟(くきょう)する」「彼岸に至る」・「渡る」と言う事です。
「究竟(くきょう)」と言うのは、真理を究め尽くし、仏道修行を完成した境地の事を言うのです。すなわち、私達の悩みや苦しみの此岸(しがん)の世界から 抜けて、悩みや苦しみの無い安らぎの彼岸(ひがん)の世界に移る事で、これは 死後では無く生きている現世で移るのです。これが即身成仏と言う事です。

四諦でも説明しました様に、
『八正道は、主に個人の救い(悟り)を目的とした修行』で有るのに対し、『六波羅蜜は、他の人も共に救う(悟らせる)事を目的にした修行』なのです。
その修行を、六つに分けて説いたものを六波羅蜜と言い、それは次の様なものです。
仏道修行を通じて、我執(がしゅう・人には常住不変の実体が有るとする誤った考え-我見)が取り除かれた時、周囲の人々やあらゆる生き物に対して慈悲(じひ)の心が開花します。この慈悲の心を完全に体得した時、自分 と他人の対立・区別が無く成り、他人の幸福は自分の幸福、逆に他人の不幸は自分の不幸と言う、『自他一致の心理』が生まれます。

また、自分が幸福に成れば、その福徳を少しでも他の人々に役立ててもらおう、と言う心理が作用します。解り易く言うと、それは『抜苦与楽(ばっくよらく・苦しみを除いて、安楽を与えること)の精神』に成るのです 。
仏教の基本精神で有る、『苦をなくして楽を与る』という意味です。
この様な心を持ち、実際に行動する者を、仏教では菩薩と呼びます。
大乗の菩薩が涅槃(ねはん・一切の悩みや苦しみの束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏の悟りを得た境地)の境涯(きょうがい・身の上。境遇)に到る為 の修行方法を、波羅密(はらみつ)と言います。簡単に言いますと、生きて成仏 する(即身成仏)為にしなくてはならない大切な修行の事です。
布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の六種の修行が有り、これらを六波羅密(ろっぱらみつ)と言うのです。

お釈迦様は、この六種の修行を通して、悟りに到る道を説かれています。
悟るとは、無我や空(くう)、つまり、無差別智(むしゃべっち・意識を通さず働く知、つまり直観の事)の立場に立ち、個人レベルの幸・不幸の視野を超越して、宇宙的な観念の世界観を持つ事と成ります。これを真理に目覚めると言います。
仏教では、私達が住むこの世の事を娑婆(しゃば)と呼び、悟りに到った者は、 その目覚めを自分だけのものとせず、他の人々に伝えてこそ、『真の自覚』を得るのだと説かれています。(布施波羅蜜の法施)

菩薩とは、声聞界(しょうもんかい・仏の教えを聞いて仏法の悟りの一端を獲得した 境涯)や縁覚界(えんがくかい・さまざまな事象を縁として、自らの力で仏法の悟りの一端を得た境涯)の境地を離れて、仏様のお教えを守り、自らを仏様の心に近づ様に精進を重ね、その結果として迷いを離れ、他を救う働きを得たものを言います。
この六波羅蜜の法門は、全て自分と共に他人を救う事が、前提と成っています。

お釈迦様も、五十年間に渡って悟られた真理を、幾度も衆生(しょうじょう)に説き広める実践(法施)をされました。

★声聞界・縁覚界(しょうもんかい・えんがくかい)とは、「十界」という十種類の生命境涯を言い、 具体的には、地獄界・ 餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界と、その上の声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の境涯の中の一つです。

1)布施波羅密 (ふせはらみつ)

おしみや優越感・自己満足感等を持たず、他人に対して広く施しをする実践行の事。

布施波羅蜜は、別名、檀那(だんな)波羅蜜とも言い、さまざまな施(ほどこ)しをさせ て頂く、修行の事です。
簡単に言うと、貪欲(どんよく)の心を対冶(たいじ・人々を仏道 に専心させる為,煩悩(はんのう)の悪魔を降伏(抵抗を止めて相手に服従させる こと。たいじする事)して、行う修行の事です。

布施行には、
(1)財物を施す財施(ざいせ)
(2)恐怖や不安を取り除き安心を与える法施(ほうせ)
(3)法を説き与える修行を実践する無畏施(むいせ)が有ります 。

(1)財 施 (ざいせ)

財の布施。他人にお金や物を施す事。募金活動に寄付する事等。

財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施の事を言います。
地震や水害時などに、衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金等も、この財施に当たります。 お布施の心がけを少し話しますと、本来、人間は欲深く罪深いものです。お寺へのお布施等も、金額が定まっていないと、『幾(いく)らですか』、と 尋ねる方が居ます。
お布施は、自分が出来るだけの気持ちを喜んでさせて頂く、と言うの が趣旨です。この事から、お布施をする事を喜捨(きしゅく)とも言います。
この意味は、喜んでさせて頂きますと言う心掛けの、大切さを教えています。この様な気持ちで、仏様の教えを守り伝える僧侶や自分より経済的に苦しんで居る人に布施する事が、自分の罪障(ざいしょう・成仏の妨 げとなる悪い行為)を消滅する事に成ると言われています。
お金の有る人は有るなりに、無い人は無いなりに、自分の能力に応じて布施をさせて頂くのが基本なのです。この事から、お寺などのお布施は金額を定め無いのが本来の姿なのです。
また、托鉢行(たくはつぎょう)の時など、「あの坊主は、お布施したのに御礼も言わない!」と耳にする事が有ります。これは、何々をしてやったと言う人間の醜い姿の現れです。
一般的に、お布施の金額が決まってい無いと、少ないとケチと思われはしないか、金額が多ければ、法要のお経や説法等の内容を、金額で判断して居るのではないか、また見栄を張って居ると思われないかと、色々心配する人が居ますが、その様な心配は一切不要なのです。

布施は、する者とされる者が清浄の心で有れば、互いの罪を消し、功徳(くどく)と成るのです。布施は空無我(くむが・無自性・無所得の自覚)でなければ ならない修行とされ、菩薩道を代表する実践行と成っています。
空無我とは、施す者も、施しを受ける者も、施し物に一切の執(とら)われを 捨てたものでなければ成りません。

(2)法 施(ほうせ)

教えの布施。人に仏法を説いて聞かせる。説法する事。仏などに向かって経を読み、法文を唱える事も法施。
法施は、仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導く事を言います。出家者たる僧侶は、この法施の第一線に立つのが本来の役目なのです。
また、仏様の教えを信じる在家や信者の方も、縁ある人に仏様の教えを伝える事が、とても大事な法施なのです。
簡単に言うと、人に物事の道理を説くと言う事です。
一般の方でも、豊かな知識や智慧の有る人で無くても、物やお金は無くても、人にものを教えたり導いてあげたり、拘りや囚われから離れる方法等を教える事が出来ます。どんな人でも法施は出来、それをする事が大切なのです。
悩んで居る方は、他人の体験話を聞くだけでも、随分こころが楽に成るのです。この様な行為は立派な法施です。

日常生活の中で、暮らしの知識を教える事も、広い意味で法施に当たります。例えば、おいしい漬物の漬け方や編み物の仕方、パソコンの使い方等を手ほどする事も、やはり法施なのです。
この内のどれでも良いから、自分に出来る布施を実行して、人の役に立つ事が大切なのです。

(3)無畏施(むいせ)

人から不安や恐怖を取り除き、恐れのない状態にする事や、人の厄難を救う事です。仏や菩薩が衆生の恐れの心を取り去って救う事も同じです。

無畏施とは、法施により人の悩みや恐れを取り除き、さらに安心を与える布施の事です。
その気に成れば、経済的にゆとりの無い人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言葉を掛けたり、優しい微笑で人と接する事は、出来るのです。
心がけ次第で、困って居る人達の為に、「布施の心」は持てるはずです。

仏様は、『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中で、財力も無く知恵も無い人の為に、次 にあげる
『無財の七施』をお説きになりました。

①眼施(がんせ)… 優しい眼差しで人に接する。
②和顔施(わがんせ 和やかな明るい顔で人に接する。
③言辞施(ごんじせ)優しい言葉をかける。
④身施(しんせ) 身をもって布施をする。 無料奉仕
⑤心施(しんせ) 心の底から人を思いやる慈悲心を施す。
⑥牀座施(しょうざせ)弱い者や先輩・お年寄りに自分の席を譲る行為。
⑦房舎施(ぼうじゃせ) 困っている旅人に、一夜の宿を提供したり、休憩の場を提供する行為。 (四国のお遍路などに対して行われて居ます。)

以上の様に、布施と言う事が菩薩行の第一条件とされているのは、大変意味深い事と言わなければなりません。
なお、これらの施しを行なう時には、『一切の見返りを求めず(そう言う心も持たず)、他人の幸せを心から祈る事』が、不可欠な心構えです。
つまり、布施にはギブアンドテイクでは決して無いのです。
見返りを求め無いと言う事は、「自分はこれだけの布施をしたのだ」と偉ぶる事も無く、逆に「自分はこれだけしか出来無なかった」と卑下する事も無い、と言う事です。
自分で出来るだけの布施を行ない、『布施が出来た事自体が、有り難いと思う事』によって、自分自身の仏性が、磨かれるのだと説かれています。

そして、この三つの布施の中で最も尊いとされるのが、法施です。

もちろん、財施も身施も人助けとしては、尊い行ないで有るし、奨励されるべき事には違いありません。
しかし、募金も奉仕も、それを受ける人にとって、一時しのぎに終わってしまう可能性が有ます。そこで法施が重要に成るのです。
開発途上国などに対し、医療費や食料を援助するのは、人間として大事な行ないで有るが、それに加えて、田畑の開墾の仕方や農作物の育て方等を伝授する事が出来れば、当地の人々も何時かは自立出来、将来を心配する事無く、心豊かな生活が出来る日が来るのです。
これが無畏施(むいせ)です。

すなわち、『人の幸せを祈願して行なう事が出来て、初めて布施』と言えるのです。

★お寺で『檀家さん』と言う言葉を聞きますが、これは、壇那(だんな)波羅蜜の壇那(だんな)は元々仏教の布施から来た言葉です。
だから経済的な援助(布施)をする人を、世間一般に壇那様と言います。
この檀那の人達の家族を、『檀家』と呼んでいるのです。

2)持戒波羅蜜 (じかいはらみつ)

日常生活に於いて(かい・諸規則・ル-ルで五戒や十戒)を守る実践行の事です。
戒とは、在家信者(出家していない信者)が自分の意志によって守るべき戒(いまし)めの事です。
サンスクリットならびにパーリ語では、pañca sīla[パンチャ・シーラ]と言います。
「戒」は、禁止事項ではなく行動指針・努力目標の事ですが、戒はあくまで自分自身の意志で授かり、守っていくものです。誰かが守れと強制されるものでも、守らなかったからと言って罰せられるものでもありません。これを守るか守らないかは、個人の自由意志に委(ゆだ)ねられます。しかし、持戒波羅蜜とは、この戒をすすんで守る事です。

仏教が示すところの悟り、解脱、涅槃を得ようとするのであれば、最低でも五戒を授かり、出来る限り保っていく必要があります。
特に持戒(じかい)とは、身を慎むと言う事でもあります。
布施を行なう事によって、ややもすると驕(おご)り高ぶる気持ちを慎み、『 布施させて頂くけた事自体に感謝出来る心に、成る事が大事である』、とを説かれています。
仏の教え(戒め)を正しく守り、人間らしい正しい生活をする事を説かれたのが持戒であります。

持戒波羅蜜(じかいはらみつ)は、別名、尸羅波羅蜜(しらはらみつ)とも言い、戒(かい)を堅固に守って生きようとする事を言います。持戒の戒とは、仏から与えられた戒(いまし)めによ って、悪業の心を対冶し、心の迷いを取り去り、身心を清浄にする事 が、戒を守る事であると教えられています。代表的な戒に五戒(ごかい)・十戒(じつかい)が有ります。

五 戒(ごかい)
①不殺生戒(ふせつしょうかい)…生き物をみだりに殺さない。
②不偸盗戒(ふちゅうとうかい)盗みを犯さない。
③不邪淫戒(ふじゃいんかい)道ならぬ邪淫を犯さない。
④不妄語戒(ふもうごかい)嘘をつかない。
⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒を飲まない。 現代は麻薬類に手を出さない。
以上が五戒と言われるものです。
この五戒律に、次の五つの戒が加わり、十戒と呼んでいます。

十 戒(じゅっかい)(①~⑤の五戒を含む)
⑥不塗飾香鬘戒(ふずじきこうまんかい)飾りや香を身につけるな。
⑦不歌舞観聴戒(ふかぶかんちょうかい)歌や舞を見たり聴いたりするな。
⑧不坐高広大床戒(ふざこうこうだいしょうかい)高く広い寝台に寝るな。
⑨不非時食戒(ふひじじきかい)午後に食事をするな。
⑩不畜金銀宝戒(ふちこくこんごうほうかい)金銀財宝を蓄えるな。

この様な正しい生活をして、自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救う事は出来無いと言う事です。
⑥~⑩は出家者に求めた戒で有る。でも私達も必要以上の装飾や歌や舞などにのめり込む事は避けるべきです。

ただ、誤解してならない事は、自分はまだ完成していないので、人を助け導く事は出来ない、と言う考えを持たない事です。
自分だけの生活に囚われていれば、返って自己の完成は出来なくなる のです。 人の為に尽くすと言う事も、持戒の大きな要点なのです。人の為に尽くす事によって、自分も向上し、自分が向上する事によって、それが人にも尽くせる様に成るのです。 この二つは無限に廻って行くのです。

 3)忍辱波羅蜜 (にんにくはらみつ)

我慢する実践と思いがちであるが、仏教では人が生きるには、色々他人に迷惑を掛けています。それを自覚すけば、人に『すみません』と素直に謝れるし、『他人の迷惑も許すことが出来る』と、言う教えです。

忍辱とは、他に対して寛容であり、どんな困難をも耐え忍ぶ、と言う事です。
持戒によって、歯を食いしばって教えを守ると言う、単なる忍耐と言う事ではありません。そこに寛容さを兼ね備える事が、忍辱の教えるなのです。

忍辱波羅蜜(いんにくはらみつ)は、別名、孱提(ぜんだい)波羅蜜とも言います。
忍辱とは、瞋恚(しんに・怒る事。いきどおる事)の心を対冶して、迫害困苦 (はくがいこんく・迫害に耐える事)や侮辱(ぶしょく・はずかしめる事。見下して名誉などを 傷つける事)等を、忍受(にんじゅ・苦痛・困難・不幸・不遇などを、我慢し堪え忍ぶ事)する事です。
チョットした事でキレ易く成っている現代人には、特に必要な事です。
心を冷静に保ち、不快や嫌な事などにも、寛容な心で堪え忍ぶ事です。

釈尊はあらゆる徳を備えた方なので、一つの徳だけを取り立てて申すのもおかしな話ですが、釈尊の最大の徳は、実に寛容であった事です。
お釈迦様のどんな伝記にも、お釈迦様が立腹され、人に対して怒りの感情を現すしたとは、どこにも書いてありません。
悪人の代表とされている堤婆達多(だっぱだった)に命をねらわれ、色々と迫害されて も、微塵も立腹されず、弟子達が教えに背き師のもとを去っても、恨 む事無く、返ってその増上慢(ぞうじょうまん・未熟なのに、仏法の悟りを身につけたと誇る事)により先々の予測される不幸に、「可哀相に!」と哀れみと慈しむ心で、心配されています。 人間としての釈尊の性格は、徹底した寛容な人で有ったのです。
私達が、何かにつけて腹を立てたり、人を恨んだり、その怒りや恨みを相手にぶっつけたりする事は、とてもおぞましい事です。
忍辱とは寛容と言う事です。この忍辱の修行を積む事によって、人に対してだけで無く、天地のあらゆる事象に対して、腹を立てたり、恨んだりする事が無く成るのです。
私達は、暑ければ寒い方が良いと言い、寒ければ暑い方が良いと言い、太れば痩せたいと言うし、痩せすぎれば太りたいと言います。
また、忙し過ぎれば暇に成りたいと言い、暇に成れば忙しい方が良いと言います。人間は、絶えずブツクサ愚痴を云い、不平・不満ばかりを言う生き物なのです。

仏の教えを生活に生かして修行を積む人は、心がゆったりとして調和して居ますから、四季折々の変化にも、常に感謝して賛嘆(深く感心してほめる事)する事が出来るのです。周囲の変化に、心がとらわれ無く成るのです。

また、自分に侮辱(ぶじょく)や損害を与え、人を裏切る様な相手に対しても、 単に怒りや恨みの心を抱かずに、慈悲心から、そう言う不幸から救おうとする気持ちが起きる様に成ります。

また、他の人から、「貴方は仏様の様だ」、「貴方が神様の様に見える」等とおだてられても、有頂天に成らず、じっくりと自分を省(かえり)みて、優越感を持つのでは無く、謙虚な心を持つ事も、皆「忍(にん)」の心な のです。
こう言う境地が、忍辱行(にんにくぎょう)の極致だと言えます。この様に、無理な事 を行う相手に対して、仏様の真理のお教えを知らない事は、世間の道理を知らない事だ、可哀想な人と考える様には、案外早く成る事が出来ると思います。
これぐらいの境地までは誰でも進みたいものです。
この忍辱という精神的習慣が、ある程度、人々の心に浸透出来たら、世の中も平和で平穏に成る思います。

 4)精進波羅蜜(しょうじんはらみつ) 

あらゆる努力を惜しまないで実践すると言う意味です。仏教では、『執着や執念を捨て、当たり前の事を当たり前に、ゆっくりと着実に努力せよ』と教えています。精進とは、たゆまず純粋に努力する事を言います。

一時的な持戒、一時の忍辱では無く、一心不乱に継続して努力する事こそ精進の本来の意味です。
精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)は、別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)と言い、懈怠(けたい・善行を修めるの に消極的な心の状態)の心を対冶して、身心を精励(せいれい)して、他の五波羅蜜を修行する事です。この精進ですが、「精(しょう)」という言葉は、まじりけの無い・純粋に、と言う意味です。
例えば、仕事でも修行でも、頭の中や行ないに迷いや怠慢(たいまん)が有っては 、精進とは言え無いのです。目標に向かって、ただ一筋に進んでいく事こそが精進なのです。時には、一生懸命に一念心で事に当たっても、結果が得られ無い場合や、逆の現象が出たり、外部から水をさされたりする事が有ります。そう言うものは、大海の表面に立ったさざ波の様なもので、やがて風が止めば消えてしまいます。多少の困難は自分を試す幻に過ぎません。
これは八正道の正精進(しょうしょうじん)と同じ事です。

 5)禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)

現在行っている事に、こころを集中させる実践行で、仏教では、『今、行って居る事にひたすら専念せよ』と教えています。その訓練が瞑想です。

禅定とは、どんな事が起きても、迷ったり動揺したりせず、静かに精神を保ち、常に真理に心が定まって居る状態を言います。
継続して行なう精進も、常に落ち着いた心で行なう事が大事で有る、と説かれています。

禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)は、別名、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)と言い、心の動揺・散乱を退治して 、心を集中し安定させ、真理を思惟(しゆ・考える事。思考)する事です。
禅定波羅蜜の「禅(ぜん)」とは、静かな心・不動の心、と言う事です。
「定(じょう)」と言うのは、心が落ち着いて、動揺しない心の状態の事です 。
ただ、一生懸命がむしゃらに精進するのでは無く、静かに落ち着いた心で世の中の事を、ジックリと見そして考える事が、大切なのです。
すると物事の本当の姿が見えてきますし、物事に対して正しい対処の方法
も判かってきます。その正しいものの見方、物事の本当の姿を見分ける力が、次に掲げる第六番目の智慧です。

この智慧が無ければ、結局の処、人を救う事は出来無いのです。

 6)智慧波羅蜜(みえはらみつ) 

自分本来の姿に目覚める智慧を、理解し実践する行の事です。

前項の五つ本当の布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進を実践するには、これま で私達が常識だと信じてやって来た事を、もう一度別の角度や視点から見直す事が、必要です。
常識や世間体にがんじがらめになった生活を、もっと風通しの良い生活にする事が大切です。私達が普段、常識や世間体として考えて居るものが、本当に必要な事かを考えて見る必要があります。
ほとんどは不要なものです。
これが本当の智慧で、此岸から彼岸に渡るための智慧の事です。

智慧とは、真理を見極め、真理によって判断し、処理出来る能力を言い、仏教徒が目指す最終到達点で有り、そこが仏の智慧と言う事です。
仏教で言う智慧とは、単なる知恵(知識)では無く、真理を認識して居ると言う事が、大前提で有るとされています。
仏の智慧は、布施から禅定までの五つの布施を修行する事によって、完成されるもので有ると教えられています。

智慧波羅蜜(ちえはらみつ)は、別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)とも言い、一切の諸法に通達(仏の 教えをしっかり受け止める事)して、愚痴の心を退治し、迷いを断ち、真理(何時どんな時にも変わる事の無い、正しい物事の筋道。真実の道理)を悟る事で、または諸法の究極的な実相を見極める事を言います。

例えば、現代の様に世の中が混沌として居ますと、困って居る人に、深い考えも無く、相当のお金を恵んでやったとします。
ところが、その男はバクチ好きだったら、これ幸いに、そのお金でパチンコ・競馬・競輪等で、与えられたお金を直ぐに使ってしまう事になってしまいます。その人を救う事は出来ず、人に甘えて社会的努力をしないダメ人間を作ってしまう事と成ります。
布施も、本当の智慧を持って行なわないと、折角の慈悲の心も有効な働きをしないばかりか、返って逆の結果に成ってしまいます。
前記は極端な例えですが、世の中にはこれと似た様な事が多く有ります。この様に、私達が、人の為に役立つとか、人を救うと言う立派な行ないをしようとする場合でも、智慧は絶対に欠く事の出来無い条件と成ります。

現在私達は、末法(まっぽう)と言う五濁悪世(ごじょくあくせ)五つの汚れに満ちた悪い世の事 )の時代に生きて居ると言われます。しかし、私達は仏様の教えに出会い、新鮮で永遠の理想を持ち続ける事が出来るのです。これはとても幸せな事です。

「五濁(ごじょく)とは、五つの汚れの事で、

劫濁(こうじょく・時代の汚れ。以下の四濁の起こる時代)
煩悩濁(ぼんのうじゅく・貪むさぼりや怒りなど人の浅ましさがはびこる)
衆生濁(しゅうじょうじょく・心身が弱く苦しみが多く、人の資質が低下する)
見濁(けんじょく・誤った悪い思想・考え)
命濁(みょうじょく・寿命が短く成り、最後には十歳に成る)、を言います。

以上が、『六波羅蜜の法門』の説明ですが、 「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の六波羅蜜で、常に人間向上の道を志す事が、人間の理想なのです。
 人を救い世を救える様な、理想的な人間に成る為には、六波羅蜜のどれも欠く事の出来無い条件です。 特に具体的なのは布施で有り、出来る事から少しずつ実践し、理想的な人間形成と仏の境地へ、一歩でも近づいて行こうと、仏教では教えています。

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《幸福塾:法話 道しるべ》

はじめに
1)幸福とは何か
2)お釈迦様の基本的な教え
3)お釈迦様について(お釈迦様の生涯)
4)お釈迦様がされたお話の一つ
5)-1 お釈迦様の基本的な考え方
    -2 中道思想
    -3 四諦(したい)
    -4 三法印
    -5 八正道(はっしょうどう)
    -6 六波羅蜜(ろっぱらみつ)

6)お釈迦様の基本的な考え方


<光福寺の内容>

光福寺について
光福寺の由来
名前の由来
ご本尊
光福寺の果たす役割(目的)

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<活動内容>

瞑想の会
写経の会
お悩み相談(カウンセリング・セラピー  他)
祈願(商売繁盛・家内繁栄・願い事)
厄除け・お祓い(厄年の祈祷・新築お祓い  他)
供養(回忌・先祖・水子・星供養・施餓鬼)
各種占い(結婚の相性占い・商売の占い  他)
近況報告


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